2010年7月24日土曜日
「シャチョー」急増中!
お店に見えるお客様には、お子様連れが多いです。生まれて間もない出産内祝いの方からはじまり、歩きだして、しゃべりだすと面白くなってきます。子供が耳から(音から)言葉を覚えていくのが、よくわかります。彼らは、私のことを「シャチョー」と呼ぶのです。スタッフやお客様が「社長」と呼ぶので、私は「シャチョー」という名前のヒトになるのです。最初は「チャチョー」で徐々に「シャチョー」に進化していきます。2歳から3歳の子に道端で「シャチョー」と呼ばれるのも悪くないですよ。毎日のように遊びに来てくれる近所のマーちゃん(もうすぐ3歳)からも、「シャチョー遊ぼう!」ってよく誘われます。いつまで彼らが「シャチョー」と呼んでくれるのでしょう?
2010年7月21日水曜日
誇りに思うこと②
息子の最後の夏が終わった。一度も公式戦のマウンドを踏むことなく。小学校1年生のときに、野球をさせたくてリトルリーグにお世話になる。5年生の夏で中学受験のため休止。中学で野球部に入部、高校ではやらないんじゃないかなと思ったが、また入部。何度も辞めるんじゃないかと?思い出ば“桐朋”のネームの入ったユニホームを見た時は、うれしくて自分が羽負ったほど。エースの頑張りもあって、ベスト8を賭けて春の都大会優勝の日大鶴ヶ岡に惜敗。2対1でリードしたときは、「桐朋!日大鶴ヶ岡を破ってベスト8進出!」の記事が一瞬浮かんだ。6年間よく続けたと思う。自分のせいで無理して続けているのかな?と思うこともあったが、ほんとうに野球が好きで、怪我も多かったがくさらず最後は投手として、それどころか大学に行っても続けたいと。どんなことでも続けていくことは大変です。そのためにほぼ365日弁当を作り、ユニホームを洗い、応援し続けたayaさん。共に私の誇りです。なぜか今、涙が出てきてしまいました。このお陰で、自分は2回も高校野球を体験したような気持ちです。
2010年7月18日日曜日
誇りに思うこと。
5年前に他界した大学のゼミの先生の追悼会を先生の小岩の自宅にお邪魔させていただき焼香後、浅草橋(中華料理)にて宴会(直会)を開催しました。まあOB会です。70歳の定年退職を迎え、20数年500名以上のゼミ生を輩出し、毎年OB会を先生と現役の学生主体に開催してきましが、今後はそうはいかないので、「君が代表で後を続けて欲しい?」と電話がかかってきました。私はサンフランシスコのバークレーで先生と5日間過ごしたり、ここでは語りつくせないほどお酒をご馳走になっており、「私でよろしければ。」と答えました。それからわずか1年で先生は亡くなってしまい、私が代表として開催した1回目のOB会が追悼会となってしまいました。今回は5年目の節目でしたので、現在国立大学で経済学の教授をされている息子さん(偶然同い年)にもご協力いただき、宴会に参加していただきました。その席で先生が当時学生の我々のプロファイルを作っていて、亡くなる直前に遺言としてOB会の運営を私と後輩のT君にお願いすればうまくいくと言っていたそうです。また、卒業生の中で「私に反抗したのは、二人しかいない!」そのうちの一人が私だそうです。お酒にまつわる逸話と、面倒見の良さは先生の右の出る方は居ないでしょう!そんな先生に信頼されていた自分を誇りに思い総武線、中央線、青梅線と帰路に着きました。
2010年7月10日土曜日
やっぱ野球でしょ!
桐朋も国高も無事1回戦を突破しました。詳細はhttp://www.tokyo-hbf.com/index.phpで。ワールドカップは盛り上がりましたが、高校サッカーの予選を観戦に行く人がどれだけいるでしょう?新聞やネットでチェックして(チェック出来る情報が無いと思われますが)。土曜日、快晴、府中球場と条件が良かったとはいえ、野球部でもない父兄が大勢応援に来る桐朋野球部、おそらくこちらも多かったと予想される国高野球部、幸せです。東京ドームのジャイアンツ、甲子園のタイガースという敵にとってはアウエイ状態です。「今日は行けないので絶対勝ってもらって、次回に行くね!」とメールをくれた方に電話で報告しました。なんとしても順調に試合を消化してくれないと観に行けないよう。今日も店だったし。
2010年7月4日日曜日
眼を磨く
歯は磨くことで、予防したり白くすることが出来ますが、眼はどうでしょう?老眼というと、遠くが見えて近くが見えないと解釈していますが、現実は(自分がなってみて)眼そのものの調節機能が衰えてきて、近くから遠くもしくは遠くから近くに眼を移動したときに、対応が鈍くなることです。プロゴルファーの青木功も、身体能力よりも眼の衰えが一線でゴルフが出来なくなった最大の理由であると言っていました。レーザー治療で老眼が治るのか存じませんが、自力で歯を磨くように眼を磨く方法を教えて欲しいです。赤ちゃんのような澄んだ瞳にはもう戻れないのでしょうか?そこには、人間性のようなことも、澄むことのできない理由としてあるのでしょうか?辛い!
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